<エスケイプ・フロム・トゥモロー>ようこそ狂気ファンタズムへ
この作品はフィクションです。
もちろんだ。
悪夢はすでに始まっていた
みんな大好き某テーマパークでゲリラ撮影をしてしまった新人監督ランディ・ムーア。悪夢が蠢く妄想の世界に迷い込む悪夢のような89分。
ミッキーやミニーを連発、パーク内部の様子を惜しげもなく披露、まさかの汚物吐瀉描写も混ぜ込む。無理やり白昼夢を見させられている感覚に言葉にならない嫌悪感を抱かざるを得ない。ありがとうランディ・ムーア監督。このフィルムが 未だ訴えられず、簡単に手を出せる悪夢映画として存在していることに感謝したい。
白黒映画の美しさに惹かれる
歪んだ女の顔に深く刻まれるシワや、パーク内に伸びる影の陰影、シンボリックに鎮座する城も白黒フィルムの手にかかると全ての真実をも浮かび上がらせる力を手に入れる。
全てが夢で構成され、Joyとhave Fun精神を全面に押し出したテーマパーク。その本質とは。水面下に哲学的な“人間の思考と妄想”について具現化する組織があったっていいじゃないか。全ては夢なのだから。
それも全て白黒フィルムという魔法の力が、この映画を悪夢に昇華させている。
映画『エスケイプ・フロム・トゥモロー』公式より
失業した父の妄想とエロス
バズ・ライトイヤーしか頭にない息子、可愛いけどワガママな娘、アゲアゲテンションに全然乗ってくれず口喧しい嫁。
父が楽しめる要素は、若い女のおっぱいとお尻を追跡すること、アダルトなテーマのパークである。全ては彼の妄想なのか、現実なのか・・・
いや、もうどうだっていい。
夢だろうが現実だろうが妄想だろうが悪夢は悪夢でしかない。
ちゃんと存在する伏線
淡々と悪夢を見せられているような気がするが、きちんと理由があって伏線だって存在する。
ある一線を超えてから、キャパシティオーバーでバグるように映像が狂気じみてくる。花火が上がる夜に父が園内を走り回るシーンは、奇妙で狂気でまさに悪夢だった。現実世界側から夢の国を見るとあんな感じのなのかもしれない。
この映画の伏線、それは猫と感染・・・。取って付けたかのようなファンタジックなストーリー、それは真意なのか仮面なのか。
この物語はフィクションです
もちろんだ。大事なことなので2回言わせていただく。
最後に・・・
今度、某テーマパークに足を踏み入れるときは、白黒フィルムで写真を撮りまくりたい。
総評
★★☆☆☆
なんだかんだ、息子に狂気を感じるラスト。嫌いじゃない。