<コングレス未来学会議>現実か虚構か
少し前に加山雄三がVR化して湘南乃風とコラボをしていた。その映像を観た時、ふと、この映画が脳裏にフラッシュバックした。
コングレス未来学会議は現実の俳優をCGに取り込み、老いや整形、スタジオが求める容姿などの精神的苦痛から解放するというもの。その契約を結んだ俳優たちは二度と演技をしてはいけない。会社はCG俳優を所有しエンターテイメントを創造していく。
イスラエルの鬼才アリ・フォルマン監督がスタニスワフ・レム著「泰平ヨンの未来学会議」を、実写とアニメを融合させ映画化したSFファンタジー。
自分が何になりたいかは自分で決める[ロビン・ライト]
俳優の人生とは何だろう。己と演者の違いを仕分け区別し、葛藤し、悩み、苦しみ、楽しみ、達成し、泣いて、笑う。
土俵は違えど、私たちも同じような苦しみを世の中で感じている。理想の自分との落差にもがき、何かを捨て何かを得る。状況を変えるために自分を変えることも時には必要だ。だが、それは本当に自分の意志なのだろうか。
耳に難病を抱える息子アーロン
彼の耳に届く音は、彼の脳で変換され、王座が孤独に変わる。
この物語の鍵でもある息子アーロン。進行性の病を[未来の映画]に例えて語る医師の言葉は面白い。だが、それは人類にとって光となるか破滅なのか、ただのエンターテイメントなのか。外部からの刺激を脳で変換する世界がやってくる。
網膜色素変性症をも併発し、視野が狭くなり、いつの日かきっとアーロンは静寂に包まれ闇に侵食される。医師の言葉を借りるならば、「彼は未来を生きている」
映画『コングレス未来学会議』公式より
アブラハマシティがアニメ専用地域へ
CGキャラクターとしてミラマウント社と契約を交わしたロビン。
20年後、アブラハマシティで未来学会議が開催される。飛躍的大スターとなったロビンが招待されるが、そこに入るためには自らをアニメ化する薬を摂取する必要がある。
ミラマウント・ナガサキ社は新たな時代を切り開こうと、未来学会議の本来の目的を提案してくる。
なぜ人はドラッグ的快楽に溺れるのか
エンターテイメントはもちろん、収集癖や著効品に人は少なからず高揚感を覚える。脳がアドレナリンで満たされていく快楽に善も悪もないが、著名人を薬剤化させ摂取する娯楽は些か度が過ぎている。それをビジネス化し、正当化し利用する大人がいるかぎり、起こり得る悪夢かもしれない。有名人と同じ香水、同じ柔軟剤、彼らが座った椅子、触れた品物・・・それらに触れることで脳が反応しDNAレベルで繋がっているかのような錯覚に陥る人も多いだろう。
「コングレス未来学会議」は、摂取することで快楽を脳内に広げ、無限の可能性を開示する。
[自分が何になりたいかは自分で決める]
いつか、ロビンが発した言葉。これが現実化されていく。
映画『コングレス未来学会議』公式より
息子の幸せを想う母の愛
難病を抱える息子を想う母ロビンだが、息子アーロンは常に一歩先を見据えているように感じる。薬を使わずとも外部の刺激を脳内で変換し、世界を構築していたのかもしれない。ただ、少年期に彼が検査を受けているシーンでは言葉の変換に孤独が垣間見える。コングレス未来学会議で描かれる無意味な高揚感と虚無感、人々が皆インナーに向かうことでの真の幸福は訪れるのか?アーロンの言葉の変換に真意が込められていると感じた。
ロビンが息子へ辿り着くために選んだ方法は、大きな悲しみと同時に深い愛を感じた。現実が夢の世界で膨張するように、また縮小していく恐怖。
最後に・・・
大好きな映画です。半分がアニメという特殊な作品ですが、これは彼らにとっては現実です。なので、私にとっても“アニメ”という概念はないです。アニメですけど(笑)。
なりたい自分になれる世界があったら行くのか?世の中の主流の世界がもし虚構だとしても。
地に足をつけて歩きたいと、私は思います。
総評
★★★★★